コネなし論文なしからドイツでサッカーデータ解析で博士進学するまで

アドベントカレンダー、スポーツアナリティクス Advent Calendar 2020の18日目です。

今年の10月より、ドイツの博士課程にてサッカーデータの研究をしています(サムネイルはロックダウン前日の僕が住んでいる街)。

今日は、コネなし論文なしの僕がなぜ、どのようにしてドイツで博士課程を始めたのかを書いていきます(タイトルはtkm2261さんのブログのオマージュです)。

スポーツ関係の仕事をする一手段として博士進学もあると知ってもらえれば嬉しいです。

忙しい人のために主な出来事を書いています。詳細を読むには+をクリックしてください。

大学入学〜修士課程修了まで

(2013) 内部進学で大学入学
これからは中国が来るぞ!ということでチャイ語を履修。入学直前にACLを観に中国の広州まで行ったのですが、そこで会った小学生が英語ペラペラだったのを見て語学できないとやばいなと危機感を感じました。
(2015初夏)留学開始・語学学校
本当に何もわからない状態で、フランスに来てしまいました。最初の2ヶ月は語学学校に通います。

当時どれくらいフランス語を分からなかったかというと、飛行機で読んだ「旅の指差し会話帳」の表現を片言でホストファミリーに話したが最後、相手の返答が全く言ってるかが分からない、それくらいの理解度です。でも、これくらい何もわからなかったので余計なプライドを持たずに素直にフランス語を学ぶことができたのは良かったことです。

語学学校生活の終わりに差し掛かると、ある程度自分の言いたいことを言えたり、相手が言いたいことがなんとなくわかったりするようになりました。「フランス語いけるかもしれない」とぼんやり思い始めます。そしてそれが勘違いだったことにすぐ気付かされるのです(後述)。

(2015秋)フランスの大学へ留学
正確にはグランゼコールというフランス独自の教育機関に入学しました。フランスの大学はフランスの高校の卒業資格(バカロレア)さえあれば、基本的に誰でも入れます。グランゼコールの入学には卒業資格にも入試での合格が必要で、フランス人はそのために2年間猛勉強して入試に挑むみたいです。
はじめての海外大生活
苦労の一年目。1年目は理工学の基礎的なことを学びます。授業はフランス語で行われ、僕は本当に語学学校に通っていたのだろうかと自問するくらい。フランス語を事前に勉強しておけばよかったと思う一方、そもそもフランス文化に興味がなかったのでその状態で言語を学ぶのは難しかったな、と今になっては思います。
一年目に学んだこと
数式という世界共通言語にだいぶ助けられる…はずなのですが、フランス語独特の記法に慣れるのにだいぶ時間がかかりました。「板書の筆記体が読めない」から始まり、「数学で⇔を”ssi”(iff: if and only if的なノリで)と書く」(そもそもiffとかの英語の記法すら知らなかった)とか色んなところでつまづきました。当時は機械学習という言葉すらあまり理解していませんでしたが板書をなんとか理解しようと必死で機械学習してました(頭の中で)。
(2015-2017) 2年目、VRを専攻
専攻の第一志望(ビジネススクール行き)が通らず、かなり適当に選んだ第2志望のVRをやることに。当時の僕、「VR選んだっけ?」
2年目で学んだこと
UnityやPreprocessingなど、はじめて使う言語やゲームエンジンをたくさん知ることができてよかったです。

ただ、困ったこともありました。フランスの2年目の半分は座学、残り半分は長期インターンという構成で、基礎力が足りなかった僕はインターン探しに苦しみました(フランスの学校は卒論を書くかわりに、専攻に関係のある長期のインターンとそのレポートの執筆および発表をすることで卒業が決まります)。

やっと見つけたインターン、思い出はHololensを使った開発ができたこと。当時のVRは日本語の情報源が少なく、英語の一次情報(ドキュメンテーション)にあたる訓練をできたのは今に繋がっていると思います。語学力と理工学の知識がないことを痛感したのがこの時期で、このあたりからテック系の情報を集めるためにTwitterをはじめました。

● 二年間のフランス滞在で得たもの
フランス語を話せるようになりました。TOEICが400点くらい伸びました(元が低い)。ドラマ・フレンズを10周しました。日本語が不自由になりました。色んな場所(キッチン、公園など)で寝る訓練を積みました。フランスにカブれました (書くアルファベットがとても読みづらくなりました)。(順不同)
(2017秋) 日本帰国。日本の大学院に入学。
日本の同期から遅れること半年、修士の一年目が始まります。統計系の研究室に入りました。

フランスで専攻していたVRを続けるか、新たにスポーツデータの研究を始めるかで迷いました。VRを勉強したときに、そもそもモデルにする現実世界のことを全然知らないなと思ったのがきっかけで、専攻を変えることにしました。

日本早々のスポーツデータコンペ。撃沈。
(以下言い訳)帰国後1ヶ月あまりで発表スライドの提出、PythonもRもよくわからない、フランスのインターンレポートを書かなければいけない、バイト探し、など(言い訳終わり)たくさん言いたいことはありますが、単純にスキルがありませんでした。当時の自分ができる最大限のことをやった結果があれだと思います。

そのとき流行っていたサッカーの5レーン理論を使って、見よう見まねでk-meansや重回帰分析をした記憶があります。コメントを下さった皆様、ありがとうございました。

しばらく日本の生活を謳歌
それからしばらくは、「研究どうしようかな」と薄ぼんやり思いながらも、社会のことをもっと知りたいなと思い、試行錯誤しました。ArxivTimesのスポーツ論文版をつくろうとしたり、プログラミング講座を開いたり、インターンをしたり、就活イベントにでたり。
(2018秋)修士2年生、研究テーマ決まらない。迫るスポーツデータコンペの締め切り。
途方にくれた僕は、就活イベントに行きました(おい)。学生が自分のブースを持ち、訪ねてきた企業に対して自分の研究などの成果物を売り込むというイベントでした。正直に言うとAmazonギフト目的の参加だったのですが、自分が売り込むポイントの少なさを思い知らされることになりました。
アドバイスを頂き、コンペで受賞
上の就活イベントの中で自分の研究を発表したところ「その研究をしているならこういう応用もできるよ」というアドバイスを頂きました。それを実装した結果、コンペで賞をいただくことができました。一年目と違ったのは、コンペの概要がつかめていたことと、Pythonのスキルが100倍ほど上がっていたことです。

(2019秋) この勢いでなんとか、無事修士課程を修了。

● 修士課程における発表論文・参加学会
なし

内定辞退から博士課程の受け入れ先(学校)を見つけるまで

少し戻って、修士論文発表直前
サッカーの研究を続けたいという気持ちが芽生えました。また、日本の生活がとても楽しかったので、このままだと日本にずっといて、やりたかった海外生活ができなくなるのでは、と思うようになりました。
海外の博士課程進学を決意
研究を続けたかったのは、修士でのサッカーの研究があまりにも未熟だったからです。未練がありました。はじめから修士でしっかり研究しとけという話ですよね。
内定辞退、退路を断つ。
「退路を断つ」というとかっこよく聞こえますが、実際多くの人に迷惑をかけました。自分が何をやりたいことすら分かっていない状態では周りに大変な思いをさせるんだなと痛感しました。

色んな人に相談し、最後は自分で決めました。

(2019秋) アメリカの博士を目指して、ラグビーW杯中にアメリカ渡航。
日本は大盛りあがりの中、ラグビー熱が低いアメリカを見てちょっとしたカルチャーショック。日本で渦巻く熱気に思いを馳せながら、アメリカのユタ州で指導教員をどうにかして見つけようとおもっていました。博士課程への応募で大切なのが、応募資格を揃える(=TOEFLなどで基準を満たす)ことと、自分を雇ってくれる指導教員を見つけることです。指導教員を見つけるには、現地に行って対面で話せたら一番だなと思い、アメリカに渡りました。
アメリカ博士進学間に合わなくね?
1ヶ月が立った11月、大学の先生の手伝いをしながら準備を進めてました。締め切りまではあと1ヶ月なのに、必要なテスト(GRE, GMAT, TOEFL)は受けたこともなければ準備もろくにしていない状態。10月に博士進学を決断してから2ヶ月でアメリカ行きのアプライができると思っていたのは少し虫が良すぎたかもしれません。ただ、フランス留学時と同様、準備不足で会ったことは確かです。

このときは翌年2020年でのアメリカ大学院アプライも頭に入れていました。

博士課程には二種類ある。
アメリカでの博士課程とアメリカ以外での博士課程です。アメリカの大学の応募要件はどこも似ていますが、アメリカ以外は結構バラバラです(それはそう)。

主に選考過程が違います。たとえば応募の締切。アメリカの大学は軒並み年内(例外あり)ですが、それ以外は締め切りが春先だったりと少し余裕があります。あとは、応募資格。アメリカはGRE, GMAT, TOEFLあたりはどこもだいたい必要になってきますが、他の国ではそもそも資格すらあまり求められないところがあります(後述)。

プランB!プランB!アメリカ以外の博士課程!

プランB:ひたすらメールを送る
サッカー論文の著者リストに名前がある人に片っ端からメールを送りました。

ひたすらメールを送るのは、フランスでインターンを探すときに経験しており、当時の反省を生かしてある程度読む側の気持ちに立ったメールを送れるようになりました。

当時は100通ほど送って3%くらいしか返事が来なかったのに、今回はほとんどのメールに返事がありました。サッカー研究者のやさしさ…。このときこっそりTOEFLも受けました。受験料が高い。

このTOEFLの勉強が結構楽しくて、やっぱり語学好きだなと再確認。

(2020冬) 返事
ありがたいことにオーストラリア、オランダ、イギリス、アメリカ(例外の一つ)、そしてドイツの先生からお返事が来ました。それからしばらくは、地図で大学の場所を調べて現地での暮らしを想像したりしました(何も決まってないのに)。

フランスでインターンを探していたときよりも、履歴書に書けることは増えたし、志望動機書もテンプレではなく自分の言葉で書くことができるようになったのもあって、反応が良かったのかもしれません。LaTeXで履歴書を書いていると、履歴書を「更新」している感じがあって楽しいですね。LinkedInと違って、デザインを凝ることができて時間が溶けます(テンプレをいじる程度なのですが)。

学校決定
一番早くオファーをくれた先生のところに行こうと思っていて、それが今の先生になります。

選考過程はびっくりするくらい少なくて、履歴書(CV)と志望動機書&研究計画書(Cover Letter)を送っただけで、TOEFLなどの語学力は見られていないと思います。履歴書から語学力は把握していて、あとは電話で確認するだけだったのかもしれませんが、電話したときの電波が非常に悪くちゃんとした会話ができなかったので、今回は縁がなかったかなと思っていました。

というわけで、2020年1月の時点でドイツへの博士課程進学が決定。準備に応じて早ければ5月、遅くても6月には始めたいねという話をしていました。

● ドイツとアメリカの博士課程の違い①
まず学費。アメリカの大学は気が遠くなるくらいの学費がかかるため、奨学金を見つけることが博士課程の第一条件になります。一方、ドイツの大学は基本無料で、僕はさらに国からお給料を頂いてます。
● ドイツとアメリカの博士課程の違い②
さらに、博士課程の仕組み自体が大きく違います。

アメリカの博士課程はストラクチャードドクターという、授業を受けながら研究する仕組みです。まずコンピューターサイエンスや物理学といった学部に入り、それから指導教員を見つけます。最初の1,2年で単位を取って、その間に指導教員を見つけます。入学したはいいものの、指導教員がみつからないこともありえます(これは聞いた話なので間違っているかも知れません)。

ドイツの博士課程はインディビジュアルドクターという、自律を求められる仕組みです。指導教員を見つけるのも、研究テーマを決めるのも自分です。ドイツの博士課程の9割以上がこのインディビジュアルドクターのようです(参考)。

コロナと渡航延期

(2020春) ボスからのメール、渡航延期
3月に入り、新型コロナウイルスの感染者数が世界的に増えてきた頃、ボスからメールが入ります。「5月のスタートは無理そうだ」

「まあそうだろうな」というのが最初の感想で、落胆はありませんでした。

ビザ発給のチェックを定期的にするように言われていたので、博士課程自体が取り止めになことは無いんだろうなと思っていました。ただ、もしものときにどんなアクションを取ろうかな、とぼんやり考えていました。

周りからは「就職したら?」とも言われるように。

(2020夏) 8月、研究者向けのビザが申請可能に。ただし、発給までは最大3ヶ月
ゲーム「Passport, please」で入国審査を延々と待ってる人々のお気持ち。

周りの友達には日本出るのは年末くらいになるかな、と言っていました。

(2020秋)9月。2週間でビザが発給
まさかの最速発給。大使館すご。9月末にドイツ渡航が決定します。

周りの友達にあと3週間でドイツに行くことなった、と伝えました。。

結局、博士進学できるまで、修士課程を終えてから一年間かかりました。

もっと遅くなっていてもおかしくないし、この状況でドイツに来ることができたのは幸運でしかありません。

サッカーの研究者として学ぶことばかりで、それが楽しくもあり大変でもあります。今いる環境で精一杯頑張ろうと思います。

今日、伝えたかったこと

まず、博士進学でスポーツに関わる手段があるということ。

海外博士は比較的、経済的サポートがしっかりしていること。

論文やコネが無くても海外で博士を始められるということ。

そして最後に思い切り。はじめの一歩を踏み出すこと。

はじめのの一歩に必要なのことはメールを送る、これだけです。

今の状況で各大学の定員も減っているかもしれませんが、とにかく最初の一歩がなければ何も始まりません。結果、断られたとしても、メールを送るのはタダです。履歴書と志望動機書だけ書いたらバンバン送りましょう。

いろいろな形でスポーツに関わる人が増えますように。

最後に

海外博士のオススメも込みで長々と書きましたが、当然僕はまだ博士課程を終えたわけではなく、今回の選択が良いものだったのかはまだ分かりません。

「ドイツの空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなぁ…」という結末もありえます。僕はひとまず「今」に集中して、最終的に博士進学という選択が良いものだったと言えるように頑張っていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回は試験的に、見出しをタップしたら詳細が読めるような構成にしました。その読みやすさも含めて感想などいただけたら嬉しいです。

今回参加したアドベントカレンダーはこちらです。

明日19日目は千葉洋平さんがアナリストについて書いてくださるようです!楽しみ。

あとがき
課程と過程がとてもややこしい

【宣伝】Podcastやってます

Concastという名前でPodcastを配信中です。スポアナの振り返りなど、スポーツアナリティクスに関するエピソードも用意しています。その他、ドイツでのPhD生活をお届けするエピソードも配信しています。

Spotify, Apple Podcastなどで視聴できますので、聴いてみてください。